公共設備に脛で喧嘩を売って気づいたこと

よくわからないが……よく脛をぶつける。

昨年の12月は都庁の植え込みに、つい先日は近所のバス停にあるベンチに喧嘩を売ってしまった(敗北)。……なぜだ? なぜぶつけるんだ。

ひょっとして低すぎるのではないか?

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弁慶は泣くけど俺は泣かない

都庁の時は、青く光るバイオな都庁を固定カメラで撮っていた人がいたので、気を効かせて「後ろから回ろ」としたのが原因だったのかもしれない。

転向する際に足元を見ない俺も悪いが、生け垣のブロックがスポンジなりシリコンで覆われていたのなら、新宿駅まで戻る足取りが重いこともなかったはず。

脳に「ゴンッ」と響くくらいぶつけたから、弁慶のリアクションなら泣いて転げ回るくらいはしたかも。

でも──自分でも驚くくらい、ノーリアクションだった。

歩いている最中に脛から出た血が乾いてパリッてることはわかっていたし、トラベルグッズに絆創膏と軟膏を入れていたのがグッジョブだった。

次は春になった4月のこと。

近所の銀行に行く際に、交差点で左右を確認してから歩きだしたら、右足から「ゴンッ」て音がしてきた。バス停にある木製のベンチに喧嘩を売ってしまったのである。

ぶつけたのは膝のすぐ下で、血は出てないが骨が痛い。歩くと響く痛さがなんとも不安をかきたてる。だが今回もノーリアクションだった。我慢するのは得意だ(便意)。

ぶつけやすいのはもしかして設置位置が悪いのでは?

──で、右足の脛をよくよく見ると、都庁でぶつけた傷は痕が残っているし、新鮮な傷は記憶に新しいが、……やけに右足だけ傷だらけじゃね?

この違和感に気づいたことで、新たな発想が生まれた。

脛をぶつけるなら、ぶつけた対象物が無ければいいし、腿の位置にあるほうが安全じゃね?

いや、でも、パンツに「膝下」の概念があるように、公共の椅子やベンチは人間工学に基づいた設計がされているのだろう。それは座りやすいためであり、ぶつけないようには設計されてないはず。

椅子の部分が腿の位置なら、ぶつけても肉がガードしてくれるし、弁慶も泣くまではいかないだろう。……なるほど、カウンターの椅子がやけに高いのは、足元のスペースを確保するのと、安全性も考慮されているのか!(適当)

でも待てよ……。もし椅子の座る部分が腿の位置にあったら、座りにくくないか?

身長が高いほど有利になるし、むしろ小学生以下にとっては眼前にそびえる木みたいなもので、圧迫感もあるし座ることもできない。

そう考えると、俺が脛をぶつける公共設備は、年齢を問わずして安心して座ったり鑑賞できるベストな位置にあるのだろう……たぶん……。

右足を怪我しやすいのは第一歩が右足だから

右足だけ傷が絶えない謎は、第一歩が右足だからだと思う。

左足の脛に歴戦の傷跡は1つくらいしかないし、それに比べて右足は攻めすぎている感がある。ベンチにぶつけた時に思ったが、これは「停止からの一歩目に右足を選ぶ確率が非常に高い」ことが答えだと思う。

この問題を解決するには、自分の意識改革をせざるをえない。

ベンチの位置を腿の位置にすると、脛は助かるが子供や老人が困ってしまう。生け垣のブロックにスポンジを選択しては、水を吸いすぎてガワの支えが効かなくなる。なにより太陽光での劣化が著しいのが最大の問題だろう。

そうやって哲学な思考を巡らせると、現在の世の中に在るものは、合理的な考えに基づいていると感づかされる。

合理的であって独占的じゃない。1人のためではなくみんなのため。

気持ちのいい答えが出たところで、次はどの設備に脛で喧嘩を売ることになるのだろうか……。足元にアイサイトを搭載したいぞ。

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