最近思ったこと。
人生で本当に必要なものって、一度手放しても必ず戻ってくるんだよな。だから物の整理整頓とか、捨てる物に「ときめく?ときめかない?」で取捨選択をするよりも、思い切った見切りをつけてみてもいいんじゃないかって。
それはスマホかもしれないし、楽器かもしれないし、家かもしれない。
不思議なことに、自分の人生にとって本当に必要なものほど、引き寄せられるように戻ってくる気がする。
手放すのって、実はそんなに怖くない #
正直、何かを手放すのって最初は怖いやん。
でも後から思い返すと、一度手放してどうでもよくなった物もある。そういう反応が自分の中で起きた時、「ああ、これは本当に自分には必要なかったんだな」って分かる。
逆に、手放した後もずっと心の隅に引っかかってるものは、きっとまた必要になる時が来る。
一度は夢をあきらめたバンドマンストーリー #
映画とか小説でよくある、夢破れたギタリストがギターを質屋に売って、サラリーマンとして普通に生活してたんだけど、ある日街で流れてくる音楽を聞いて、急に昔の情熱がよみがえって「もう一度やってみよう」って決意するやつ。
あのストーリー、創作だけど妙にリアルに感じる。きっと似たような経験してる人が多いかもしれないし、引き寄せ的なあれに共感する人が多いからだと思う。
今いらないなら、とりあえず手放してみればいい #
必要か必要じゃないか……で迷っている物があるなら、思い切って手放してみればいいと思う。
物への執着は案外、新しいことを始める邪魔になる。
私の場合は、ゲームソフトとか漫画を一時期全部売ったことも。その時は「もったいないことしたかな」って思ったけど、実際はスペースも空いて気持ちもスッキリした。今はデータで購入することもできるし、中古で昔遊んだ物を見つけるのも振り返りみたいな感じがする。
ポイントとしては、もう一度やりたいと感じるかどうかってとこ。ゲームなら記憶の中にネタバレがあるので、新鮮な気持ちで望めないけど、純粋に楽しいものだったら何度でも遊べるじゃない?
人生のリズムが変わると、また会えるもんだ #
面白いもんで、生活のリズムが変わると、一度は捨てたものとまた出会うことがある。転職して時間に余裕ができた時、結婚して家族ができた時、子供が独立した時。そのタイミングで、ふと昔やってたことを思い出したりする。
楽器店の前を通りかかった時、古本屋で懐かしい本を見つけた時、ネットで偶然昔の趣味のサイトを見つけた時。そういう「偶然の再会」って、案外偶然じゃないのかもしれない。
その時心が動いたら、もう一度やってみればいい #
そんな再会の瞬間に、心がざわっとしたら、それはきっと「今度こそ」のサインだと思う。昔とは違う自分になってるから、同じことでも全然違った楽しみ方ができるはず。
一度は抜けたジャンルに対する理解に、これまでの人生経験が加わって、前よりも深く楽しめるようになるはず。年取った分、いろんなことが分かるようになってるんだよね。
物との関係で分かる、自分のこと #
結局、物を手放したり、また手に取ったりすることって、自分自身と向き合うことなんだと思う。何が本当に大切で、何が単なる執着だったのか。今の自分には何が必要で、何がいらないのか。
現代って「持つこと」ばかりに価値を置きがちだけど、「手放すこと」にも同じくらい意味があるんじゃないかな。手放すことで得られる自由もあるし、本当に大切なものとの再会もある。
必要なものは、ちゃんと戻ってくる #
人生で本当に必要なものは、一時的に手放したって必ず戻ってくる。
なぜなら、興味はリサーチの原動力だから。
迷った時は怖がらずに手放してみて、時間が経って自分が変わった時に、また心が動くものがあるかどうか確かめてみればいい。
その時心が動いたなら、それは新しいステージでの新しい関係の始まりかもしれない。物との付き合い方を通じて、自分がどんな人間で、どんな人生を歩みたいのかが見えてくる。それって、案外大切なことなんじゃないかって思う。